吾輩は猫である
二
吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。
元朝早々主人の
ちょっと読者に断っておきたいが、元来人間が何ぞというと猫々と、事もなげに軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるははなはだよくない。人間の
吾輩が主人の
ところへ下女がまた第三の端書を持ってくる。今度は絵端書ではない。恭賀新年とかいて、
おりから門の
「しばらく御無沙汰をしました。実は去年の暮から
寒月君と出掛けた主人はどこをどう
吾輩は猫ではあるが大抵のものは食う。車屋の黒のように横丁の
今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で椀の底に
こんな失敗をした時には内にいて御三なんぞに顔を見られるのも何となくばつが悪い。いっその事気を
障子の
「それで面白い趣向があるから是非いっしょに来いとおっしゃるので」と客は落ちついて云う。「何ですか、その西洋料理へ行って
東風君は冷めたくなった茶をぐっと飲み干して「実は今日参りましたのは、少々先生に御願があって参ったので」と改まる。「はあ、何か御用で」と主人も負けずに
東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつの
それから四五日は別段の事もなく過ぎ去った。
「三毛は御飯をたべるかい」「いいえ今朝からまだ
一方では自分の境遇と比べて見て
「どうも困るね、御飯をたべないと、
下女は自分より猫の方が上等な動物であるような返事をする。実際この
「御医者様へ連れて行ったのかい」「ええ、あの御医者はよっぽど妙でございますよ。私が三毛をだいて診察場へ行くと、
「ほんにねえ」は
「何だかしくしく云うようだが……」「ええきっと風邪を引いて
天璋院様の何とかの何とかの下女だけに馬鹿
「それに近頃は肺病とか云うものが出来てのう」「ほんとにこの頃のように肺病だのペストだのって新しい病気ばかり
下女は
「
下女は国事の秘密でも語る時のように大得意である。
「悪い友達?」「ええあの表通りの教師の
鵝鳥が絞め殺されるような声はうまい形容である。吾輩の主人は毎朝風呂場で
「あんな声を出して何の
下女は
「あんな主人を持っている猫だから、どうせ
飛んだ
帰って見ると主人は書斎の
ところへ当分多忙で行かれないと云って、わざわざ年始状をよこした迷亭君が
ところへ
「たしか暮の二十七日と記憶しているがね。例の
「例の松た、何だい」と主人が
「
「首懸の松は
「
「それで
「面白いですな」と寒月がにやにやしながら云う。
「うちへ帰って見ると東風は来ていない。しかし
「見るとどうしたんだい」と主人は少し
「いよいよ佳境に入りますね」と寒月は羽織の
「見ると、もう誰か来て先へぶら下がっている。たった一足違いでねえ君、残念な事をしたよ。考えると何でもその時は
主人はまたやられたと思いながら何も云わずに
寒月は火鉢の灰を丁寧に
「なるほど伺って見ると不思議な事でちょっと有りそうにも思われませんが、私などは自分でやはり似たような経験をつい近頃したものですから、少しも疑がう気になりません」
「おや君も首を
「いえ私のは首じゃないんで。これもちょうど明ければ昨年の暮の事でしかも先生と同日同刻くらいに起った出来事ですからなおさら不思議に思われます」
「こりゃ面白い」と迷亭も空也餅を頬張る。
「その日は向島の知人の
主人は無論、迷亭先生も「
「医者を呼んで見てもらうと、何だか病名はわからんが、何しろ熱が
「ちょっと失敬だが待ってくれ給え。さっきから伺っていると○○子さんと云うのが二
「いやそれだけは当人の迷惑になるかも知れませんから
「すべて
「冷笑なさってはいけません、
「とうとう飛び込んだのかい」と主人が眼をぱちつかせて問う。
「そこまで行こうとは思わなかった」と迷亭が自分の鼻の頭をちょいとつまむ。
「飛び込んだ
「ハハハハこれは面白い。僕の経験と善く似ているところが奇だ。やはりゼームス教授の材料になるね。人間の感応と云う題で写生文にしたらきっと文壇を驚かすよ。……そしてその○○子さんの病気はどうなったかね」と迷亭先生が追窮する。
「
主人は最前から沈思の
「あるって、何があるんだい」迷亭の眼中に主人などは無論ない。
「僕のも去年の暮の事だ」
「みんな去年の暮は
「やはり同日同刻じゃないか」と迷亭がまぜ返す。
「いや日は違うようだ。何でも
「奥さんがですか」と寒月が聞く。
「なに細君はぴんぴんしていらあね。僕がさ。何だか穴の明いた風船玉のように一度に
「急病だね」と迷亭が註釈を加える。
「ああ困った事になった。細君が年に一度の願だから是非
「それから歌舞伎座へいっしょに行ったのかい」と迷亭が要領を得んと云う顔付をして聞く。
「行きたかったが四時を過ぎちゃ、
語り
寒月は例のごとく欠けた歯を出して笑いながら「それは残念でしたな」と云う。
迷亭はとぼけた顔をして「君のような親切な
吾輩はおとなしく三人の話しを順番に聞いていたがおかしくも悲しくもなかった。人間というものは時間を
こう考えると急に三人の談話が面白くなくなったので、三毛子の様子でも見て
「御苦労だった。出来たかえ」御師匠さんはやはり留守ではなかったのだ。
「はい遅くなりまして、
三毛子は、どうかしたのかな、何だか様子が変だと蒲団の上へ立ち上る。チーン
「御前も
チーン南無猫誉信女南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と今度は下女の声がする。吾輩は急に
「ほんとに残念な事を致しましたね。始めはちょいと
三毛子も甘木先生に診察して貰ったものと見える。
「つまるところ表通りの教師のうちの
少し弁解したかったが、ここが我慢のしどころと
「世の中は自由にならん者でのう。三毛のような器量よしは
二匹と云う代りに
「出来るものなら三毛の代りに……」「あの教師の所の
御誂え通りになっては、ちと困る。死ぬと云う事はどんなものか、まだ経験した事がないから好きとも嫌いとも云えないが、先日あまり寒いので
「しかし猫でも坊さんの御経を読んでもらったり、
吾輩は名前はないとしばしば断っておくのに、この下女は野良野良と吾輩を呼ぶ。失敬な奴だ。
「罪が深いんですから、いくらありがたい御経だって浮かばれる事はございませんよ」
吾輩はその
近頃は外出する勇気もない。何だか世間が